今日は100円デー

懸賞・小遣い ちょびリッチ



今日は25日で近所のレンタルDVDの店が1枚100円で1週間の日なので

ある!そんなわけで会社が終わって帰りによったが「もう借りるものがない」

という感じで「最新版はガラガラだった」・・・

珍しく007の「死ぬのはやつらだ」と「24」と「トゥルーコーリング」と

あと「ハッカー」ともう1枚の5枚借りて税込み¥500だった。

しかし100円デーはお客が満員となる。それだけ賢者の買い物が多いのか?



昨日そういえばケーブルテレビで「ゴールデンパートナー」という日本の

1970年代の藤達也と三浦友和と紺野美佐子主演の映画を見たが、

若い若い。昔はよく藤達也のテレビなんかも見たことを思い出すが、

そのときは「こんな人になれたらいいなあ〜」と憧れた。

ダイバーズウォッチをはめてそしてスキューバダイビングなどをやる人生を

目指していたと思う。

でも大学を卒業し会社に就職し、段々と路線がずれていった・・・

なんか憧れる対象が「会社員のできるやつ」という感じで「もっと上へ

もっと上へ」という感じでより大きな会社に転職したりしてまるで子供が

バッジというかメダルを欲しがるような、勲章のようなもの、

これが欲しくて欲しくてしょうがなかった・・・

最初に勤めた会社ではもう将来は重役だ!〜〜〜みたいな

そしてまわりにいる人はとても良い感じの人ばかりで素敵な人生だと

感じて、綺麗な女の子と遊ぶこともでき、満足だった・・・




でも学生時代の友達なんかに会い、「●●おまえはうまいことやっているなあ〜

もう勝ち組みの人生じゃないか?」みたいな、

そんなことを言われるたびに「お前はもうずっとその人生をただまっすぐに

生きていくんだね!」そう言われているような、「もうリスクある人生は

きっと選ばないんだろうね!」と言われているような気がした・・・

俺の親父は、会社員でなく建築を自営してたので商売人だった!

お祖父さんは建設をやっていた。ババアの家は病院だった・・・

付き合う彼女の家は同じような商売人で綺麗で女優さんのような人だった。

友達なんかに言わせると「お前は今の会社で勤めることのほかに親父の跡を継ぐ

こととお祖父さんの方を頼ることと、彼女の家を継ぐのと4種類の選択肢が

あるんだな、ばら色の人生じゃないか?」と言われたときに、

「いくらバカなお前でもその4種類の中からしか選ばないだろう!」と

決め付けられていたと感じたものだ!




好きな女の子がいた。そして彼女がたまたま病気になってしまい元気のない

そんな状況下で「●●くんはきっと■■さんと結婚すると思うし、私を選ぶ

そんなリスクは選べないと思う」と言っていた。

ショックだった!

いつも子供の頃から付き合うそんな彼女なんかにはいつも「あなたはお父さん

の力があるから・・・」という感じの言われ方などをされたり、なにか路線

から外れるようなそんなことは決して自分では選ぶ勇気もないような・・・」

そんな俺のことをまるで見透かしたようなことばかりを言われていた。

親父の友人の政治家のところに行ったときに、「もう親父さんの跡でも継ぐ

ことを考えることはできないだろうか?お前の親父には俺も助けてもらった

そしてここまでのし上がったのでよくわかるんだが親父はお前と一緒に

やりたがっていると思う。今の会社が悪いとかじゃないんだ。

彼女の家に入るつもりかも知れないが、それはそれで結婚なんかも悪くは

ないと思うし、ただ今の状態をそのままはよくないと思う」

そう言われたときに「お前俺をバカにしているのか?俺が親父がいなければ

なにもできないように昔もそんなこと言ってしたし、いつも俺の人生をお前ら

が決め付けたような言い方をする。俺は親父の跡も継がなければじじいの所

も頼らないで生きていくし、彼女のところにも頼らないし、今の会社に死ぬまで

いるつもりもないし、お前はその4つの選択肢のどれを今後選ぶのか?

そう聞くこと自体がおかしいぞ!別に俺は消去法で人生生きているんじゃ

ないんだ!5番目の違う路線がどうして選べないと思うんだ!

『俺の人生にはもう親父は必要ないと思う』

『親父の友達のあなたにも会わないと思うし頼るつもりもない』

『俺はもっと大きな世界に飛び込んでいきたい』

あなたはあなたの人生を! 俺は俺の人生でお別れだ!」みたいなことを

言った。子供の頃からいつも人に「あいつは商売人の子供だの」そんなことを

言われてきたのでうんざりしていたと思う。




会社に辞表を出し辞めた。そして民間の就職紹介会社を訪ねて言った。

「もっともっと大きな会社に転職したいんで辞めたんです」と。

そこの会社の担当者に「わあ〜これはもったいないことしましたね。

きっと後悔するんじゃないか?と思いますよ〜」とそう何回も会う度に

言われた。1つ良い求人を紹介してもらい「●●さんの希望とはちょっと

違う地場の会社なんですが、正直これは良い話ですし、またこれ以上の

紹介なんかはできないとも思いますのでこれで手を打ちませんか?」

そう言われた、何回も。別にその内定をもらった会社が悪い印象があった

わけでもなかったので、呼ばれる度に紹介会社に出向いてそんな会話を

繰り返したが、『給料が上がるだけで大したメリットがない』と思い断ったが

担当者には「なんでここでダメなのか?が理解できません。あんたバカじゃ

ないのか?」とそう言われてしまった!

その後たまたま出た新聞の求人で全国に支店のある上場企業の求人を見つけた

時に『これだ』と思った。そして面接なんかで熱弁した!




採用の通知が来たときはとても嬉しかった@@@

前に務めている会社を辞めるときにちょうど母に「お父さんはガンなの」と

相談されたので、会社を辞めるときの理由の1つが「いつも子供の頃から

塾などの合宿などでそばにあまりいることがなかったんで、闘病生活の際に

少しでも親父のそばにいてやろう!病院なんかにも行けるだけ行ってやろう」

そう考えたので、採用の連絡があったときには親父が喜んでくれた!

ちょうど肝臓ガンで、昔ヘビースモーカーで、また酒をたくさん飲んでいた

ので、ガンになったのだと思うが、母が病院に付き添いそしてなにか大変な

ことがあったときに泣きながら「あなたも少しは手伝ってちょうだい。

昔からいつも家にいなくて自分のことばかりなんだから・・・」と言われたの

が退職するきっかけだったかも知れない。

親父は一流の大学など高学歴などで昔というかどちらかといえば

エリートだと俺は思っていたので、受ける会社はやはり大企業しかない!

そう考えていた。本の四季報などに載っているような、そんな会社に。

だから国内某産業でナンバー1と記載される企業から採用通知が届いたときは

俺も有頂天だった!元気のない親父に「父ちゃん、言ったろ、俺は採用された

し大丈夫なんだぜ!もう父ちゃんの力なんかも必要としないでここまでやれる

んだ!病気のことも心配しすぎで本当は大したことないんだぜ。問題のある

ことで父ちゃんの仕事のことなんかも俺が全部やっておくからさー」と

親父には言ったが実際に建築ではさばけない注文などを抱えてしまい、

また大変だったけど、病院なんかに行くときは『いつも笑顔で』と最初に

決めていたので、徹底した。




昔親父が俺が大学を卒業しそして就職をした際にこんなことを言っていた。

「俺の親父は建設土木なんかをやっていたんで普通の人よりもお金がある

家に生まれた。そして人がいけないような学校なんかにも行かせてくれた。

俺は自分が親父という立場に立ったときに、お前らになにをすれば良いのか?

わからないこともあったんで考えた。俺が親父にしてもらったことと同じ事を

すれば良いんじゃないか?って。それでお前にもよく学校だけは行け!と

今考えると随分無理強いもしてしまったような気がする。お前は小さな子供

のころから学校でもサボったりして、家にもなかなか帰って来なかったり

することもあったりしてな〜。結局お前に行かそうと思った慶応大学医学部

にも行けずに終わったなあ〜。これそのために俺が用意したお金で現金で

¥50,000,000あるからとっておけ!俺のできる気持ちだから」

そう言ってテーブルの上に現金で1万円札が5,000枚置いてあった。

俺は言った。「俺はバカなんで結局レールからドンドン反れてしまった。

医者になれと言われたけどもなんか解剖なんかでも気持ち悪くてできなかった。

友達なんかとつるんでいると遊びすぎてしまったのかもしれないけども

それはそれで楽しい自分の人生だったと思うし、お金は要らないよ。

自分の人生は自分でなんとかする!そんな生き方になっているからね」

親父が言う「バカだなお前は、お前のために貯めたんだ。そのお金なんで

お前に渡すんじゃないか」と笑われた。「けじめはけじめであり、そして

学校に行かなかったが結局はお前のために用意したんで渡すのが俺がいまできる

精一杯の気持ちなんだから受け取れ」と。俺は学校なんかにもあまり行かずに

親父には悪いことをしたと思っていたし、迷惑もかけたと自覚していたので

断った。「なんかプレゼントさせろ」というので以前からきちんとした腕時計を

買え!と言われたいたので時計だけ買ってもらいお金を返した。

カルティエ・サントス・ラウンド。今でのずっと左手にしているが、

たまたまお祖父さんも親父もスイス製の腕時計をしていたんで、俺も

同じようにしている。Gショックなんかは持っているがあまりしない。

アメリカ人が成功したときにカルティエを買うのを子供の頃に知ったので

憧れていたんで記念に買ってもらった。

なんか自分のことなんか考えてくれていないと感じていた親父が俺のために

お金を用意していたことが滅茶苦茶嬉しかった。でもそんなお金を受け取ると

自分がダメになるような気がした。英語を勉強するために海外なんかにも

子供の頃に行かせてもらったが、外国人アメリカ人などは「ユーはなぜ親の

金で生活するんだ。なにもできないボンクラなのか?」などと言われてしまい

自分のことは自分でしなければという生き方に変わっていたんだと思う。




そんな親父が肝臓ガンであと1年くらいということになってしまったときに、

世話になった親父のために、この人のために何がしてあげられるんだろうか?

お金のある人なので何が一番喜んでもらえるんだろうか?」

そんなことを考えてしまった。

俺は小さな子供の頃に交通事故で入院したときに忙しい親父が友達の病院の

特別室に入院させてくれて毎日自分では運転できないので会いに来てくれた

ことを思い出した。それでもっと親父と話がしてみたいと思った。

なんか自分がこれからどうやって生きていくのか?人に聞かれたり、

あるいは彼女なんかにも聞かれる将来のことを考えたりする時期に

会社を辞めてしまうことを考えていた。

同時期に親父がガンの宣告を受けていたので余計に迷っていた。

『これからどうしようか』って。

よく人に昔から『親父さんも心配していたぞ』なんて言葉を言われていたので

親父が心配しなくて済むように親父なんかと同じレベルのことをすれば、

もっと大きな会社にでも入って見せれば親父も喜んでくれると思った。

親父は計算するのがとても速くて暗算なんかでもかなわないくらいで

まるで障害物競走の高いハードルを淡々とハイスピードで駆け抜けるような

イメージがあったので、大きな会社に就職でもして、

『俺もあなたと同じくらいのスピードで走れますよ〜』みたいな

そんなものを示すことができれば良いなあ〜って!

『もう俺は一人前なんです』っていう感じかな・・・

それを自分の行動で示すこと!これが俺が考えたもうすぐに死んでしまう

『自分の親父にできる精一杯の気持ち』だった

昔病院にお見舞い来るときに親父が俺に『なんの心配も要らないからな』と

元気よく会いに来てくれたように、知恵の浅いのかも知れないが俺にとっては

同じことをすることだけしか思いつかなかったのだ。




さすがに新しく入った会社では親切丁寧におしごとを教えてくれる人なんかも

いないんで大変な思いの連続だった。入社1日目の電話でお客さんとそして

会社の社内線の電話でも、また高齢なOLというか、おばちゃまにも

怒鳴られた・・・これの連続の日々のスタートだったと思う。

会社が終わってから病院へ行くと、面会時間の19時を過ぎることもあり、

こっそりと病室へ向かった。入る前と出るときはよく入り口でタバコを

各5本くらいは吸っていたと思う。緊張するのと気持ちがうまく切り替わらない

んだと思う。仕事で怒鳴られた後なので、それをうまく忘れ、親父の前に

行くと『実際は問題だらけの親父の仕事を全然問題ない』と俺が答える。

実際は自分の会社のしごとそのものが大変でもあり、人のことなんかをできる

状態でもない!ことが自分でもわかっているんだがガンの親父には一切そういう

心配はさせてはいけないと思ったからだ。

家を建てたもののお金を支払ってくれないそんな現役のヤクザなども問題として

抱えて俺が休みの日など集金へ行ったりして、そこで脅迫もされていた・・・

親父にはどんなことを言われても「香港人は『無問題』(モウマンタイ)と

よく口癖のように言うんだけど同じように『なんの問題もないよ』とか

『俺が会社では仕事全然楽勝なんで、終わったときに余裕でやっとくよ』など

うそばかりついていた・・・




その新しい会社に入って1ヶ月半で親父は安心したのか病院で急に容態が

変わり急死してしまった!

親父の葬式に会社から電報や供花が届けられたことが俺には嬉しかった。

親父の商売仲間とか、親戚とか、友達なんかに自慢高々だった。

『どうだ俺もこれで一人前だろう!』みたいな。

でも内心こころでは、『もうヤバイ限界点を超えた』と感じていた。

親父の友人など御通夜に来てくれる人なんかが『親父さんのところでなく

会社でやっているんか?』みたいな話をする度に『当然だろ俺を誰だと思う』

みたいに強調して話したものだ。

葬式の喪主の挨拶するときはひざがガクガク震えていた。

もう1ヶ月以上もろくに眠ってはいなかったので体力的にも限界だった。

泣きたくなるような毎日だった。

会社の上司から仕事のことで自宅に電話があり、その際「会社の決まりで

1週間休んでください仕事は私がやっておきますから」と言われた。

とても普段はキツイ女の人なんだけどこれも嬉しかった。

実際は7日の休みを俺はどこか病院に駆けつけた日などで間違え8日休んだ

らしいが、おまけしてくれた。




その会社に1週間後からまた出社して、残業の連続で仕事をしていった。

とてもハードな仕事だったのでその年は9月16日入社してから年末まで

まったく余裕のない感じで毎日会社ばかりの連続だった。

どうしてそこまでその会社にこだわるの?

そんな質問を友人や彼女なんかに言われたものだが、俺にとってはなにか

人間の証明』みたいなものだった。

それまでの人生は学校なんかでもどこか気の利くような友人というか、

知り合いの関係というかどこか気をつかってくれる人がいたと思ったが、

さすがにメジャーな会社では意地悪な感じの人も多かったし、

自分が残業で真夜中まで残っても誰も付き合ってくれるような人なんかも

いなかったし、親父などのいわゆる『看板』というかバックボーンのようなもの

がまったく効かない世界だったので、初めて自分が感じるつらい世界だったの

かも知れない。自分の仕事がまわりの人のせいでできないで結局夜中などに

しないといけないことも多く、それで夜中2時などに会社の事務所で

ひとりぼっちで残業などをする際に思った。

『ヘコタレテはいけない』

『俺はここで自分が一人でもやれることを証明してやるんだ』

『そんな証明するのにここは日本1なのでちょうど良い機会なんだぞ』

『証明するまではなにがあっても石にしがみついてもやめないぞ』

そんな気持ちでがんばった!

人間ていうのは不思議なものだと感じる。俺なんかは最初ついていくことすら

難しく思えた環境なんだが、2年目からは人と並べるようになって、

3年目からは人に頼られるようになり、『先生』と呼ばれるように変わった。

常務なんかに『お前は先生なんだから、専門学校やセミナーなんかでも

会社の金でも使ってそして覚えてきたら会社のみんなに教えてやれ!』

そんなことを言われるようになったときに、会社を辞めようと思った。

『もうここでは何も得るものがない』そんな気がした。

張り詰めて随分無理もしてきたので自分のためにも休みが欲しかった。

外国なんかに友達といったり一人で行ったりしてボーっと過ごしたかった。

その会社では人を育てることができないような、ただ自分の仕事だけができる

人は次長までしか上がれないと良く聞いた。

人にものを教えるのは講師であり、その上の認められた人が先生だったので

おそらく最年少で先生と言われる結果までのし上がったときに、

『もうここでは人間の証明ができた』と感じたのかもしれない。

アメリカン・エキスプレスカードからは郵送で

【プラチナ・インビテーション】という申込書のないプラチナカードの

書類などが送られてきた。サラリーマンではたぶん最高峰のランクとして

認めてくれたのでなにか報われたような気がしたのかもしれない・・・




なにかもっとほかの世界を覗いてみたくなり会社を辞めた気がするけど、

ビジネスなどで知り合う人は意外に、「ちょっとメルマガ宣伝したけど

うまくいかなかったのでもう辞めますわ」みたいな人が多い気がする。

9月に『俺はもっとビッグになり成功者になるんだ』という人がいて

その後11月に『俺はこのビジネスではまったくうまくいかないので

自分には合っていないと思うので、辞めます。なにかまた別のことで

がんばっていきますのでありがとうございます』という内容のメールを

リーダーに送ってきた人がいるという。

俺は思うんだけどどんなビジネスや会社の仕事であれ3ヶ月なんてものは

試用期間のようなもので、その期間にうまくやれる人というのは少ないんじゃ

ないか!?と個人的に感じるのだ!

その人の場合参加するときは電話でリーダーにお願いします。

それで辞めるときはメールで・・・

俺は今のビジネスでももし参加された人が「自分に合わないので●●さんには

申し訳ないがクーリングオフしたい」などの人がいた場合は終始一貫して

「それはそれでXXさんの人生なので全然構わないと思いますが、

XXさんの場合一番お話したりした人は■■リーダーではないか?と思います

ので人間として最低限その■■さんには電話などで自分で『お世話になりまし
た』

と挨拶をしていってくださいね。私には不要ですが・・・」と言っている。

なんでこういう挨拶をメールなんかで送れるのだろうか!?

ここが、その神経がちょっと理解できない。

俺は会社なんかでも結果はどうであれ、辞める人なんかには挨拶だけは!

と一応お願いをしている。

どういえばよいのか?が説明しにくいけども、まるで逃げるような感じに

思えるような行動は本人にとってよくない気がするからで、

送別会なんかでもできるだけしてあげることが重要な気がする。

総務の人間でもあるので、俺の場合自分の送別会などは出ないのでやらない

ように指示もするが、なんかそういう辞める人のメールがお知らせということで

俺にも届いたけども、なんかこれはこれで収入に影響するわけでもないが

ショックである。ほかのことでもきっとその人の成功はむずかしいと感じるの

は挨拶のしかたなどに俺が疑問を持つからなのだ!

次に参加するビジネスあるいは会社など辞める際にはメールでなく、

電話あるいは直接お世話になったと思う人に挨拶をしてくださいね。

当然私には不要ですがリーダーなど上司にあたるひとにね^^




みんなそうだと思いますがお仕事なんかでも毎日良いことばかりという

そんなことはありえません。

波のようなものだってあるし、つらいことなんかもあるし、

それはみんなあると思います。

おもしろいこともあれば、おもしろくないことがある日もあるし、

笑う日があれば、泣きたいときだってあるし・・・

おしごとでも人生でも考え方は『十人十色』でもあると思いますが、

メールなどで『私は飽きっぽい』とありましので書いてしまいましたが、

物事の終わり方というか『幕引きの仕方』がよくないような気がしました@

できれば次回何かの際にはここを変えてみてくださいね。

俺はヘコタレナイですが!たぶん自分で思うには、いつもなにか限界かな!?

などと感じたときに『もうすこしだけ』『もう少しだけがんばってみよう』

そんな感じでがんばってしまう!

子供の頃は『弱虫で泣き虫』だった!

なにかをあきらめてしまうと、なにか今までがんばってきた人生がすべて

台無しになってきそうな気がするのであきらめないだけかもしれない。